あなたはどうして山に登るのですか?

「あなたはどうして山に登るのですか?」(再掲載)

釣りが趣味の人を捕まえて、「あなたはどうして魚を釣るのですか?」と質問したり、サッカーをやってる人を捕まえて、「あなたはどうしてボールを蹴るのですか?」と質問するようなシーンはあまりお目にかからないし、そんな事聞く人がいたらそれは反対に「なんでそんな事聞くの?」と怪訝に思われるのがオチです。

けれども登山をやってる人が「どうして山なんか…登るのですか?」と聞かれる事は、昨今少なくなってきたとはいえ、やはりある事はあります。そこで今更なんですけど、改めて自分の気持ちにそれを問うてみたくなりました。


「山頂の爽快感がたまらないから…」
「山でお湯を沸かして淹れたコーヒーは格別だから…」
「森歩きで癒されるから…」
「家族がやってるから…」
「健康の為…」

とまぁ、少し考えると色々思い浮かびはしますけれど、どれも自分たちにとっては全くどうだっていいとまでは言えないにしても、さほど重要な理由とは言えません。

「犬が活き活きとして喜ぶから…」わたくしが登山する理由はやはりこれなんです。


かれこれ15年くらい前の話を持ち出してみます。

わたくしは友人夫婦の家にしばしばお邪魔していました。彼らは当時小学一年生の男の子を持つ三人家族で、そこのご主人が大の野球ファンだったこともあり、ある時一緒にドーム球場にホークスの応援に行こうと誘ってくれたんです。

地元球団が初めて優勝争いを展開しているシーズンだったので、球場の熱気はひとかたならぬものでした。どちらかというと厳しい躾方針の父親に対し、普段の印象はとても大人しく、いつも母親である私の友人の影に佇んでいるような印象だった幼い息子さんも、その時は球場の雰囲気に馴染んで明るい表情でした。

そして終盤戦、ホークスから逆転打が放たれスタンド全体が我を忘れて熱狂した時が盛り上がりの絶好調で、わたくしたち大人三人も立ち上がって声援を送ったのですが、その時見た息子さんの姿が忘れられないのです。

幼い彼も一緒に立ち上がって、今まで見た事がないような輝いた瞳で、やはり大きな声援を送っていたのですけど、彼が見つめる視線の先はグランドの選手たちではなく、我を忘れて熱狂している自分の父親の顔だったのです。それを横からちらちらと何度も見つめ、むしろその姿に感激しているようでした。

子供は、自分の親が真剣に遊んで熱狂している姿が1番好きで、そんなシーンの思い出が強く残ることで情緒が豊かに育つのでは…と思ったのです。


今のわたくしは「真剣に遊ぶ」ってどういうことだろうと考えるときがあります。

魚釣りが趣味の人は、「魚を釣り上げる…」という事、そしてサッカーをしている人は「ゴールネットにボールを蹴って放り込む」事が明確な意図だと思います。つまり「意図」に向かって「情熱」を傾ける事が真剣に遊ぶ事であって、しかも遊びだから生産性など気にする必要も無く、「意図」に対して純粋である程、真剣に遊んでいる事に他ならないと思うようになってきました。

そうなると逆にナルホドと納得してしまうのは、山登りは、釣りやサッカーのように明瞭な意図が見えにくい側面があるということ。

しかも有名な先人の登山家がそれを問われた時に、「そこに山があるから」と言ったとか言わないとか…そんな謎かけのような意味の無い言葉が独り歩きし、より一層部外者に共感されにくい原因になっていったようにも思います。

わたくしたちの「真剣な遊び」は「山でオオカミの群れのように行動する」ってことなんです。オオカミの意図はきっと、食料となる獲物を獲得することです。

その為には目的地に、ある一定の時間内に到達するという意図をハッキリ持っていなくてはならないと思いますから、わたくしたちも山行では必ず時間を計りますし、その数値はある程度挑戦的でなくてはいけません。そしてオオカミたちがいつも全力疾走しているとも思っていません。時にはじわじわと間をつめないと、獲物だって逃げもするでしょうし…ですからわたくしたちもじわじわと歩を進め、より長く遠い山頂を目指す事もあります。

それがわたくしたちの真剣な遊びなんです…


犬メンバーのサニーは野良犬ではないので、当然食料に困る事もなければ、安全な寝床にも不自由しません。

そんなサニーの生を完全燃焼させるためには、友人の息子さんと同じく、「真剣な遊び」が必要だと思っているのです。しかも飼い主でありリーダーであるわたくしたち夫婦が、同時に集中し、熱狂し、そして一緒に消耗できる本当の遊びが…

ただボールや円盤を放り投げて取りにいかせたり、可愛そうな羊たちを追いかけさせ、その姿を眺めて喜ぶような事が、「真剣な遊び」だなんて到底思えないし、もし犬たちが明確な記憶を持つとしても、そんな事が良い思い出になるなんて想像も出来ないのです。

さらに言ってしまうとその山登りにしても、ただ山頂に向かってそぞろ歩いてみたところでその辺りの景色なんて10分で見飽きますし、目から飛び込んでくるだけの情報がいつまでも新鮮なわけは無いのです。

山や森は体で感じるものですから…


こんな理由で、わたくしたちの「真剣な遊び」は常に「情熱と意図」を帯びます。「明確な意図を持った情熱」の事を、尊敬するアメリカのドッグトレーナーは「エネルギー」と呼びました。

今年もわたくしは、どんな事に対しても「エネルギー」の大小を基準に物事を考え、サニーを導いて生きて行きたいのです。

「さて今晩の献立は何にしようかしら??」と迷う時…「野菜炒めとお味噌汁…」と考えるのか、「がっつり牛タンステーキ!!」と考えるのかも、エネルギーの大小問題の一つなんです。(いえ、野菜炒めがダメとか言ってるのではなく、少し抽象的な意味合いでw)

野菜やら格安ドッグフードで、犬から信頼されようなんて考えている人がいたら…「人間界も野生もそんなに甘くはありませんよ!」と教えてあげたい(笑)

さてわたくしも頑張って食費を稼ぎます!


●城代有里砂

 

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