「ヴルフガング・トレッキング・クラブという一つの群れについての話」城代トシフミ

はかれこれ一五年ほど前に、登山を始めた。

もし登り始めるのにはっきりした理由なんて、あったらあったでその時点である程度病んでいる気がする。

というわけで僕には理由なんてなかった。まして「そこに山があるから…」なんてことは夢にも思わない。そんな感じであれこれ手を付けるには、この世界という神羅万象にはアイテムが多すぎて、とても人の一生では時間が足りないだろう。「そこに谷があるから…」「そこに水溜りがあるから…」

率直にはただ登りたかったから登っただけ…山中の光景や山頂から眺める下界の風景などにしても全くどうでもよかった訳ではないが、ほとんどはどうでもよかった。

では登山中に何をしていたかというとそれは「考え事」だった。だから下山した時に一番疲れているのは「脳ミソ」だった…とにかくそのようにして十年位は夢中で登ったかもしれないが、積極的で具体的な考え事がそれほど無尽蔵にあるはずもなく、いつしか足も遠のいていくに至った。考え事のネガティブな副産物は孤独感だと気付いて早めに身を引いたのである。

一度鎮火した情熱が再燃焼するには十分な理由が必要だった。

僕はその期間に生涯のパートナーとなる現在の妻と出合った。正確にはずいぶん前に出会っていたのだが、この期間にそれに気付いたというのが正しい。

妻はアウトドアとはほぼ無縁の女性で、それはただ無縁だったのではなく積極的に無縁だった。例えばなだめすかして近場の低山に連れて行くと、三合目付近で「これを頂上まで登ったとして何になるっていうの?」と早くも言い放ち、そして四合目を最後に下山するという塩梅だ。

こちらとしてもそこを押し通すほど山を愛しちゃいない。これほど理屈っぽい僕だが、人を説得するという事に熱意は全く無く、それは仕事上でも一貫していた。説得されて何かの行為をした人は、後で必ずそれを悔やむのだ。付いてくる人は瞬間的についてくるし、また誰一人付いてこない時は、その風を切っている自分を冷静に斜め上から見たほうが良い。

そのような妻を迎えた僕のアウトドア生活は、そうしてある意味一つの結末に向かいかけていた。

そんな折、僕たち夫婦は新しいメンバーを家族として迎えた。

ボーダーコリー犬のサニーである。

ネットでポチっとやって、千葉から福岡まで航空貨物で飛ばして貰うという、知らない人が聞くと眉をひそめるであろう離れ業で我が家にやってきたサニー…最初の頃の彼は気に入らないものには吼え続け、噛めるものはズタズタになるまで噛み続け、そして何でも無い時は「俺のかあちゃんを出せ!」とばかりに唸り、我々はひと月ばかり途方にくれた。

しかしアメリカのテレビ番組で、ある有名なドッグトレーナーが言った「運動、規律、愛情の三つを正しい順番で過不足なく与える事」という言葉が我々にはとても響くものがあり、その言葉をベースにして、書籍その他の様々な情報の海の中から自分たちなりに取捨選択しながら、異種生物であるサニーの愛し方を模索していった。

我々は件の「運動、規律、愛情」の順番を実践する為には何よりも先ず、絶対服従を要求するのと同時進行で、ダメ行為を叱るのではなく好ましい行為を褒めるというシーンをふんだんに見つけ出す必要を強く感じた。

だが物事を褒めながら絶対服従なんて…そんな芝居じみたシーンが家の中や街中にごろごろ転がっているはずもなく…思いつめた我々は、それならば山中でもうろついてみようじゃないか…という流れで「山」に戻って行ったのである。

妻の側から見ると、一度は自分の哲学に反する行為だとして登山自体を散々ディスった上で葬ったものの、サニーが自分の故郷として山を走る様を見て、アウトドアの意味合いを始めて発見したように感じたかもしれない。

登山と言う行為は、登って下りるまでの行程の中に「生活」の縮刷版が詰まっていた。

ある時は平坦な林道をそぞろ歩き、急な崖をよじ登り、そしてパートナーを助け、ある時は足元の不安定なトラバースで他人と道を譲り合い、またあるときは休憩したり食事をしたり。つまりこれらに犬を同行させる事は、「生活」のトレーニングそのものだったのだ。

山は考え事をする場所なんかでは無くまぎれもない生活の場所だった。つまりそういう実践的な意味合いにおいて自分たちが「訪問者」だったと理解して僕は驚き、妻は妻で、山を単なる安上がりのアトラクションのように考えていたところへもってきて、僕と同じ事に気付き、そして急速に熱中していったのだった。

サニーを伴って山を突き進む時、我々は彼らイヌ属が友となる以前の姿に思いを馳せてしまう…獲物を求めて山野を駆け巡り、群れの規律を守り、そしてじゃれ合って友情を交換し、狭い穴倉で眠る。

人の世界に生まれた我々はどうだろう…日々労働し、ルールを守り、隣人を愛し、そして死んでいく。

九割方は同じなのだと理解できてしまうと、サニーに同じ一生を与えられない筈は無いと思えてくる。それを与えきれている限りは、特に「躾」という概念は必要ない。こちらのエネルギーが伝わりさえすれば、もう何も問題は起こらないのである。

最後に、人もイヌも孤独では生きられなくて、必ず家族と仲間を必要とする。ならば人とイヌが混在する「群れ」を作ってみようじゃないか…として誕生したのが、「ヴルフガング・トレッキング・クラブ」である。

「旅するオオカミの会」という名が大袈裟かどうかは、いつか将来結論に至りましょう、って事で…

城代トシフミ / leader