Story of Arisa

  

 私は祖母に育てられました。私を養育すべき両親はいわゆる真っ当な社会人とは言えない人たちだったのです。そういう不幸な身上が自分だけだとも思いませんし、まして私は三流芸能人でもありませんので、それをグダグダとここで語るつもりはもちろんありませんが、そんな幼少期の経験が影響してか、元々何かに没頭するとか、人間らしく感情を動かす事に馴れていなかったというのが正直なところです。

 ですから今現在とりつかれたように登っている山登りなんて、気分の引き出しに元々はそのかけらもあるはずはなく…福岡市のど真ん中で30年以上のあいだ、500メーターの距離でもその辺を走ってるタクシーに乗り込むような生活を続けてきたのです。そしていくら着飾って遊びまわり、表面上忙しく時間の無駄使いをしても、先への生きる希望とかは特に感じないままでした。

 今現在、パートナーであるジョーとの結婚、そしてボーダーコリーのサニーとの出逢いはそんな私を変えました。「犬は飼い主に何かを教える為に近くへ来る…」という言葉を以前目にした事があるのですが、サニーの存在はその言葉が間違い無い事を、感じさせてくれます。

 犬達は「今」を生きています。サニーは生後4カ月で親元を離れ、福岡空港に航空貨物として降り立ったのですけど…受け取り場所で出迎える私たちを最初に見つめる、そのやさぐれた獣の瞳は忘れません。すぐに彼は、私たち夫婦の縄張りの中で生きていく腹を括り、全力で自分流に周辺を整え始めました。

 自分の寝床さえ清潔であれば、それ以外の場所は所構わず小便を撒き散らし、暇をもてあそべば走り回り、気になるものには吠え散らかし、うっぷんが溜まればあらゆる物を噛み砕いて1個を2個に、2個を4個に…そんなサニーの全力疾走を制御するのに、私も過去はどうあれ「今」に全力を注がなくてはならないという事を悟ったのです。

 現実的な話、始めの半年は試行錯誤がありました。様々なカテゴリーのドッグトレーナーさんとの出会いや、片端から読み漁った犬の躾教育に関する書籍から得る膨大な情報の海、それらに一つも定まった答えが見出せない事に苦しんだ事もありました。でも答えはサニー自体の中にあったように今は感じます。

「見栄え」や「芸」を競うようなコンテストの類も私にとっては違和感しかありませんでした。犬たちは人間のように「何者かになりたい…」という欲求があるわけではないので、「今」に対して全力なんだと思うんです。そこにあるのは純粋な意味合いでの「生」でありまた「生活」が全てだと思います。

 アメリカの某ドッグトレーナーが書籍タイトルで言った一言「貴方の犬は幸せですか?」この言葉はシンプルであり強烈な意味合いを持って私を打ちのめしました。さらに彼が言った犬の精神にバランスを保つ為の代表的な言葉…「一に運動、二に規律、三に愛情」という部分を自分なりに「作法」と言う概念に言い換える事で、もはやこれは「犬の躾」などという小さな話とは違った、自分の人生そのものの「リズム」の話だという理解に至りました。

 実践面を少しお話すると、「今現在」に全力である彼が良い行いをした時、その瞬間に心から喜ぶ事。悪い行いをした時はその瞬間に感情を捨てた上で強いエネルギーで叱る事。基本はこの二つだけでした。

 その他に…鳥は空を飛び、魚は水中を泳ぎ、そして犬は歩いて旅をする…そういう生き物であってそれに理由なんて無い事も早い段階で私たちは知り、それを自分都合で省略しない事を誓い、率先して屋外、その先の公園、そして大自然の中へ足を運ぼうという流れになっていったのです。

 以前は博多川端通り商店街を端から端まで歩いただけで、膝のお皿に異変があるような私だったのですけど、少しずつ長く歩けるように努力して、山にも登り、挙句の果ては40過ぎて人生初のハーフマラソン完走まで出来るほどになれた事は自分でも驚きです。

「癒されるのではなく癒す存在」「奪うのではなく与える存在」であり続ける為にも、心の中で遠吠えしながら走り続けて行こうと、強く強く心に決めています…

城代有里砂

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