2018/伯耆大山

先日、日月の2日間を利用して、鳥取県大山と広島県安芸太田町方面を旅してきました。

主に雪山登山が目的だったのですけど、大山はあらためて素晴らしい美しさで畏れ多く、また時々は人に優しい大自然なんだと、感動いたしました✨

登山ルートの核心となる6合目から頂上に向かう斜面を登りきった後、下を眺めるとこのような感じになります。

この写真一枚を切り取ると、まぁなんとも「これ大丈夫かしら??」という気分にならなくもないのですけど、そこはそれ…
この6年間、鹿児島開聞岳から山梨南アルプスまで、同じメンバーで歩いてきた様々なトレールの経験と、そして体力と装備を万全に整える事で、安全に楽しく登り降り出来るのです。

そういってる間に背後の頂上大地の淵からは、このようなBCスノボ🏂の方々が気持ちよく滑降していかれたりもします。…自由なんです…大山ってww

ですけど彼らは彼らで、この付近の詳細な地形や、前日までの天候の推移から判断できる雪質とかを完全に把握し、あるいはスコップを使って雪断面から弱層があれば見きわめるとか……
誰も遊びに命までかけたくないのは同じ…。

ようするに自然で遊ぶって、そういう自分の命との対話のようなものを含んでいますからもう、楽しさやら緊張感やら使命感やら癒しやら達成感やら…
喜怒哀楽の運動会なんです。

ここからは私の持論なのですけど、、家族が居れば全員一緒に行動するべきだし、行かないメンバーがいるなら自分も行かない…
そうでないと、こんな遊びなんてあまりにも虚ろな独りよがりになってしまうのじゃないかしら…と思ってしまいます。

それとそう、我々のメンバーのサニー…

彼を連れて登ると、すれ違いざまに反応なさる方の中に必ず何人か、犬の耐寒力に対して過剰な心配をなさる方がいらっしゃいます。

「かわいそう!」とかおっしゃる方もorz…

寒いか寒くないかと言うとそれは寒いでしょうね。
でも楽しいか楽しくないかと言うとそれはもう雪だまりにマズルから突っこんでいく時もあるので楽しいと思います…
さてどうしましょうか?(笑)

もしこの頂上大地に命が危ぶまれるような強風が突然吹き始めて、下から横から雪が舞い始めて完全に視界がダウンして一晩それが続いたりして…
そのような状況になった時、自分の生命保全の力が犬たちより勝っているとでも思っていらっしゃるなら、それはちょっと天真爛漫すぎるかも知れませんけど…
まぁこの話はこの程度でww

●有里砂

逆光


あえて太陽を向こうに回して被写体に対峙すると、まぁ露出計を1センチ動かしただけで数値は簡単に乱高下するわけです。昨今の機器が勝手にやってくれる平均測光なんていう考えは毛頭ありませんし、少し羽根を絞ろうなんて気もさらさらありませんので、それ以外の写真機の設定要素はシャッタースピードしかないのです。フィルム感度という要素はありますが、これもあらかじめASA400がブチ込んであるのでこの瞬間にどうのこうの出来やしません。夕暮れのこの時間帯になるともう場合によっちゃ、画面右上の交差点あたりに停車した車のブレーキランプくらいが解るくらいで、後は全部真っ黒シルエットになるのがおちです。そこでなるべく遅いシャッタースピードをと言う事で、50ミリレンズだから30分の1秒まではいけるかな…という判断になるのです。そうするとこの、製造からおおよそ55年は経過しているであろうと思しきSerenar 50mm F1.5の、研磨、コーティング状態から察するに、ご覧のような、虹が上下にひっくり返ったようなフレアが出現するのです。ここまでがあらかじめの想定内なわけで、オールドレンズで写真を撮るとはこういう作業なのですよ、というご紹介です。


城代トシフミ

けもの

「ヒドい」「よく言った」と賛否!とある家に貼られた、愛犬家への『警告文』

ある男性が自分の家の敷地で周辺に向け、ひとつの貼り紙を出したそうです。

その内容はというと、近隣の飼い犬達がそこで糞尿を撒き散らす事に耐えかねていて、もしそれが発覚した場合は木刀で犬の頭を割って撲殺すると宣言するものであった事が、話題になっています。

追伸において、この男性は以前に何かの研究室で、犬・うさぎ等の小動物をゴミ袋で処分する事についても長じている、という脅迫的内容も告知すると言う念の入れようだったそうです。

散歩の最中、他人様の敷地内に飼い犬の糞尿を撒き散らすばかりか、それを放置する飼い主の行為に、我慢なら無い男性の思い余った警告だと思いますが…しかし犬を飼っている自分のような立場の者でも、この方の言い分を全否定する事は出来ませんし、むしろ共感すら感じてしまいます。

糞尿の処置は人にとって日常であると同時に、人間集団の営みの中ではとりわけ高度にそのルールを守る必要のある行為だと言う事に誰も異論は無いでしょう。平たく言いますと排泄行為はトイレでのみ許されていると言う事…

そして人に飼われた犬達は例外だろうという考えが、どこかで肯定されたことなど一度も無いにも関わらず、その事は世間において、「ワンちゃんのウンチは拾って持ち帰る」というようなざっくりしたマナー、あるいはそういうふんわりした概念で包まれたまま、白々しさと共に放置されているのが現況だと思うのです。

往来ですれ違う際、不快な声でワンワンキャンキャンと吠えたり唸ったりする事や、後脚で立ち上がって気軽に前足を人にかけようとする事…飼い主のリードを常に最大の張力で引っ張り、場合によっては相手を襲うような仕草を見せる事…このような全ての行為を躾で未然に防ぐこと等も「マナー」の範疇に入ってしまっているふしがあるかもしれない、というのも大きな問題だと思います。

もしも人間の子供が生命を尊重出来ない観念で12~3歳まで育ってしまって、世間様に迷惑をかけるに至った時、そういう「躾」が欠落していた親に対して「マナー」がなっていないという表現で済ませられるものではありません。

しかしペット動物に関しては、なんでも「マナー」という、あたかも寛容性があるかのような表現でお茶を濁されている事が、ペットを飼わない人との摩擦を生む要因になっていると考えられるのではないでしょうか。

「子供嫌い」の人にも「犬嫌い」の人にも、必ずその発端となる経験や出来事があったと考えるのが妥当です。子供を嫌う為には実際に子供と触れ合う以外に、それを経験する事は出来ませんし、犬を嫌いになるのもそれは犬が関係する出来事からしかそうはならないのは、当たり前なのです。

つまり発端は犬の飼い主に原因の100%があると考える事に、不都合も無ければこじつけも無いと考えて間違いはありません。

そこで犬の躾が出来ていない人たちに一言申し上げたいのは…もう取り返しがつかないほど、犬等の飼い主とそうでない人は双方に分かれてしまっていて、寛容の無さすぎるルールが増殖しつつあるかも知れません。自分の犬の躾を直ぐに全力投球で行うか、それが出来そうにないのに犬を買い求めようとする考えを改めるか、どちらかにするべきだということなのです。

自分の犬が体重3キロであるが故に、抱き上げて制止する事で全てを誤魔化せると勘違いしている飼い主の方々、犬に癒しを求めるのみに終始している方、犬に完全依存している方、皆さんにも同じ提言をしたいと思います。

人間社会において、生命を全く尊重しない猟奇殺人が起こった時、その被疑者を「サイコパス」「悪魔」「獣」という形容詞で飾るような報道はよく見られます。私たちが家族として愛しんでいるものは、その深い意味は違えども同じ漢字を当てられた「獣」であるわけです。

すくなくとも「ケモノ」とは後ろ指さされないような躾を犬に与えてあげましょう…彼らのためにも。

最後に犬の撲殺を宣言した男性に一言…

人にも犬にも失敗はあります。そこに偏狭な判断で反社会行為に及ぼうとなさるなら、此方も戦う事になります。少なくともあなたのように木刀を持ち出すような「ケモノ」まがいの行為はいたしませんが、あなた様にとっても、相当面倒な事態に追い込まれる覚悟をしておきなさいと、警告しておきます。

●城代トシフミ

 

あなたはどうして山に登るのですか?

「あなたはどうして山に登るのですか?」(再掲載)

釣りが趣味の人を捕まえて、「あなたはどうして魚を釣るのですか?」と質問したり、サッカーをやってる人を捕まえて、「あなたはどうしてボールを蹴るのですか?」と質問するようなシーンはあまりお目にかからないし、そんな事聞く人がいたらそれは反対に「なんでそんな事聞くの?」と怪訝に思われるのがオチです。

けれども登山をやってる人が「どうして山なんか…登るのですか?」と聞かれる事は、昨今少なくなってきたとはいえ、やはりある事はあります。そこで今更なんですけど、改めて自分の気持ちにそれを問うてみたくなりました。


「山頂の爽快感がたまらないから…」
「山でお湯を沸かして淹れたコーヒーは格別だから…」
「森歩きで癒されるから…」
「家族がやってるから…」
「健康の為…」

とまぁ、少し考えると色々思い浮かびはしますけれど、どれも自分たちにとっては全くどうだっていいとまでは言えないにしても、さほど重要な理由とは言えません。

「犬が活き活きとして喜ぶから…」わたくしが登山する理由はやはりこれなんです。


かれこれ15年くらい前の話を持ち出してみます。

わたくしは友人夫婦の家にしばしばお邪魔していました。彼らは当時小学一年生の男の子を持つ三人家族で、そこのご主人が大の野球ファンだったこともあり、ある時一緒にドーム球場にホークスの応援に行こうと誘ってくれたんです。

地元球団が初めて優勝争いを展開しているシーズンだったので、球場の熱気はひとかたならぬものでした。どちらかというと厳しい躾方針の父親に対し、普段の印象はとても大人しく、いつも母親である私の友人の影に佇んでいるような印象だった幼い息子さんも、その時は球場の雰囲気に馴染んで明るい表情でした。

そして終盤戦、ホークスから逆転打が放たれスタンド全体が我を忘れて熱狂した時が盛り上がりの絶好調で、わたくしたち大人三人も立ち上がって声援を送ったのですが、その時見た息子さんの姿が忘れられないのです。

幼い彼も一緒に立ち上がって、今まで見た事がないような輝いた瞳で、やはり大きな声援を送っていたのですけど、彼が見つめる視線の先はグランドの選手たちではなく、我を忘れて熱狂している自分の父親の顔だったのです。それを横からちらちらと何度も見つめ、むしろその姿に感激しているようでした。

子供は、自分の親が真剣に遊んで熱狂している姿が1番好きで、そんなシーンの思い出が強く残ることで情緒が豊かに育つのでは…と思ったのです。


今のわたくしは「真剣に遊ぶ」ってどういうことだろうと考えるときがあります。

魚釣りが趣味の人は、「魚を釣り上げる…」という事、そしてサッカーをしている人は「ゴールネットにボールを蹴って放り込む」事が明確な意図だと思います。つまり「意図」に向かって「情熱」を傾ける事が真剣に遊ぶ事であって、しかも遊びだから生産性など気にする必要も無く、「意図」に対して純粋である程、真剣に遊んでいる事に他ならないと思うようになってきました。

そうなると逆にナルホドと納得してしまうのは、山登りは、釣りやサッカーのように明瞭な意図が見えにくい側面があるということ。

しかも有名な先人の登山家がそれを問われた時に、「そこに山があるから」と言ったとか言わないとか…そんな謎かけのような意味の無い言葉が独り歩きし、より一層部外者に共感されにくい原因になっていったようにも思います。

わたくしたちの「真剣な遊び」は「山でオオカミの群れのように行動する」ってことなんです。オオカミの意図はきっと、食料となる獲物を獲得することです。

その為には目的地に、ある一定の時間内に到達するという意図をハッキリ持っていなくてはならないと思いますから、わたくしたちも山行では必ず時間を計りますし、その数値はある程度挑戦的でなくてはいけません。そしてオオカミたちがいつも全力疾走しているとも思っていません。時にはじわじわと間をつめないと、獲物だって逃げもするでしょうし…ですからわたくしたちもじわじわと歩を進め、より長く遠い山頂を目指す事もあります。

それがわたくしたちの真剣な遊びなんです…


犬メンバーのサニーは野良犬ではないので、当然食料に困る事もなければ、安全な寝床にも不自由しません。

そんなサニーの生を完全燃焼させるためには、友人の息子さんと同じく、「真剣な遊び」が必要だと思っているのです。しかも飼い主でありリーダーであるわたくしたち夫婦が、同時に集中し、熱狂し、そして一緒に消耗できる本当の遊びが…

ただボールや円盤を放り投げて取りにいかせたり、可愛そうな羊たちを追いかけさせ、その姿を眺めて喜ぶような事が、「真剣な遊び」だなんて到底思えないし、もし犬たちが明確な記憶を持つとしても、そんな事が良い思い出になるなんて想像も出来ないのです。

さらに言ってしまうとその山登りにしても、ただ山頂に向かってそぞろ歩いてみたところでその辺りの景色なんて10分で見飽きますし、目から飛び込んでくるだけの情報がいつまでも新鮮なわけは無いのです。

山や森は体で感じるものですから…


こんな理由で、わたくしたちの「真剣な遊び」は常に「情熱と意図」を帯びます。「明確な意図を持った情熱」の事を、尊敬するアメリカのドッグトレーナーは「エネルギー」と呼びました。

今年もわたくしは、どんな事に対しても「エネルギー」の大小を基準に物事を考え、サニーを導いて生きて行きたいのです。

「さて今晩の献立は何にしようかしら??」と迷う時…「野菜炒めとお味噌汁…」と考えるのか、「がっつり牛タンステーキ!!」と考えるのかも、エネルギーの大小問題の一つなんです。(いえ、野菜炒めがダメとか言ってるのではなく、少し抽象的な意味合いでw)

野菜やら格安ドッグフードで、犬から信頼されようなんて考えている人がいたら…「人間界も野生もそんなに甘くはありませんよ!」と教えてあげたい(笑)

さてわたくしも頑張って食費を稼ぎます!


●城代有里砂

 

邂逅…2011/10

2011年の10月に、ネットの通販サイトでこいつと出合ったんです。~城代トシフミ

その時は、別にペットの生体販売について、その様々なスタイルにあれこれコメントできるほど知識も無ければ哲学もありませんでしたよ…

ただ、「ペットショップで実物を抱っこでもしてみてから買った方が安心かな…」とか「生き物を買うのに通販なんてやっぱマズいだろ…」とかそういうもやもやした気分の中で、このような写真をプリントして持ち歩き…「やっぱこいつは愛せるかも…」というある一種のノリで購入した事は正直に白状しておきます。

後から得た知識としては、通販だろうと何だろうと、とにかく生後3ヶ月から4ヶ月…いや場合によってはもっと長く生みの親の元で母乳を飲み、遊び方の指導を犬同士で直接受けた仔犬が望ましいだろう…という事を知り、結果オーライだったなと今でも思ってはいます。

犬達は…いつでも本気(マジ)!?


雪山登山なんて遊びですよ…ええそうですとも…

だけど奴らはそんな事一切知らずに
ひたすら付いて来てるのです。

「何だこの寒さは…」
「よほど美味い肉がこの先にあるのか…」
「でも匂いが全く無いというのが訳わからん…」
「今日は何処に寝るんだろう…」
「てか今すぐ下に降りないと死ぬかも…」

くらいの漠然とした思考に似た電気信号が、
その脳みそでパチパチ火花を散らしているのは、
間違いないと思うのです。

それならそれで、ある程度本気で遊ばないと、
奴らに失礼だろうな…

と考えているのですよ、私は…

●城代有里砂